なぜ審判に厳しい時代になったのか──「判定は絶対」から「正しい判定」を求める野球へ
プロ野球を見ていると、ストライク・ボールの判定を巡って審判が批判される場面をよく目にするようになりました。
「今の球はストライクではないのか」
「さっきは取ったのに、なぜ同じコースをボールにするのか」
テレビ中継だけでなく、SNSでも判定直後からさまざまな意見が飛び交います。
もちろん、明らかに判定が安定していないのであれば、審判に改善を求めること自体はおかしなことではありません。
ただ、最近の審判は本当に昔より判定が下手になったのでしょうか。
むしろ私は、審判の技術以上に大きく変わったものがあると思っています。
それは、私たちファンが審判に求める「正確性」です。
かつては「判定してくれる人」であることに大きな価値があった審判が、現在では「正しく判定できる人」であることを求められるようになった。
その変化を考えると、ABS(自動ボール・ストライク判定システム)の導入が議論されるようになったのも、ある意味では自然な時代の流れなのかもしれません。
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昔は「審判の判定」が答えだった
今より映像技術が発達していなかった時代、野球の判定には人間の目が必要不可欠でした。
150キロ近いボールがストライクゾーンを通過したのか。
走者の足と送球のどちらが早くベースに到達したのか。
野手のタッチが走者より先だったのか。
こうしたプレーを瞬間的に判断しなければならず、それを担っていたのが審判です。
当然ながら人間なので、すべての判定を完璧に当てることはできません。
それでも、他に正確な判定を下す方法がありませんでした。
だからこそ「審判の判定は絶対」という考え方が成立していたのでしょう。
監督がどれだけ抗議しても、一度下されたアウトやセーフの判定が覆ることは基本的にありませんでした。
映像を見ているファンが「今のはセーフだったのでは」と思ったとしても、最終的な答えは審判が出した判定です。
言い換えれば、当時の審判は「正解を当てる人」であると同時に、「何が正解なのかを決める人」でもあったのです。
映像技術の進歩で「答え合わせ」ができるようになった
ところが、映像技術が進歩すると状況が変わってきます。
さまざまな角度から撮影された映像をスロー再生すれば、走者の足とタッチのどちらが早かったのかをかなり細かく確認できます。
ストライク・ボールについても同様です。
現在では投球軌道を可視化する技術が発達し、ボールがどこを通過したのかを以前よりはるかに詳しく確認できるようになりました。
つまり、審判が判定した後に私たちが「答え合わせ」をできるようになったのです。
これは審判にとって非常に大きな環境の変化でしょう。
仮に昔の審判が100回中80回正しい判定をしていたとして、その80回が評価されていたとします。
ところが技術が進歩して100回の判定すべてを検証できるようになれば、正しかった80回よりも間違えた20回が目立つようになります。
さらに審判自身の技術が向上し、100回中99回正しく判定できるようになったとしても、残りの1回が映像によって明確に「間違い」と分かってしまえば、その1回について批判されることになります。
もちろん実際の正答率が80%から99%になったという意味ではありません。
重要なのは、審判に要求される正確性の水準が大きく上がったということです。
リクエスト制度が変えた「審判の判定は絶対」という価値観
そして、この流れを決定的にしたものの一つがリプレー検証でしょう。
かつては審判がアウトと言えばアウト、セーフと言えばセーフでした。
それに対して現在は、際どいプレーについて映像を確認し、一次判定が間違っていると判断されれば判定そのものが変更されます。
これは単に便利な制度が一つ増えたというだけではありません。
野球における「判定」に対する価値観が大きく変わったことを意味していると思います。
以前なら、「審判がそう判定したのだから、それが答え」でした。
ところが現在は、「審判も間違えることがある。間違っているのであれば、より正しい判定に直そう」という考え方になっています。
つまり、「審判の判定を守ること」よりも「実際に何が起きたのかを正しく判定すること」を優先するようになったのです。
これは非常に大きな変化です。
そして、この考え方を突き詰めていけば、ストライク・ボールについても同じ議論が起こるのは当然でしょう。
「人間にしかできない判定」ではなくなってきた
ストライク・ボール判定には、長い間球審の目が必要でした。
だから多少の間違いがあったとしても、人間が判定する以上はある程度仕方がありません。
しかし現在は状況が違います。
投球軌道を三次元的に計測し、設定されたストライクゾーンを通過したかどうかをシステムによって判定する技術が登場しています。
こうなると審判の立場も難しくなります。
昔なら、「人間でなければ判定できないものを判定してくれる人」でした。
しかし機械によって高い精度で判定できるようになれば、「機械なら正確に判定できるものを、人間が判定している」という見方に変わってしまいます。
その状態で人間に機械と同じような正確性を要求するのは、かなり厳しい話でもあります。
ストライクゾーンの境界付近を150キロ近いボールが一瞬で通過する。
しかも変化球なら上下左右に大きく動きます。
それを毎試合、人間の目だけでほぼ100%正確に判定することを要求される。
審判の技術を高めることはもちろん必要ですが、どれだけ訓練しても人間である以上、限界はあるでしょう。
ここまで見てきたように、映像技術の進歩によって「審判の判定は絶対」という時代から、「できるだけ正しい判定を求める」時代へと野球は変わってきました。
そう考えると、ストライク・ボールを機械に判定させるABSも、その延長線上にあるように思えます。
では、ABSが導入されれば球審の役割は小さくなり、やがて審判そのものが必要なくなっていくのでしょうか。
私はむしろ逆で、ABSが導入されるからこそ「人間の審判に何を任せるべきなのか」が、これまで以上に重要になると考えています。
ここからは、ABSと審判がどのように共存していくべきなのかを考えてみます。